子供の頃から、夢を良く見る体質で、今でも、朝、目覚めたときに起きるまでに見た夢を反芻して楽しむ習慣がついています。楽しい夢、恐ろしい夢、懐かしい夢等々余韻に浸るのが結構楽しい。夢を全く見ない日は殆ど有りません。いつまでも記憶に残る夢と、朝食を食べる頃にはすっかり忘れてしまう夢と色々ありますが何が違う結果を招いているのかはわかりません。
子供の頃、読んだ本に、「世の中にはごくまれに、色のついた夢を見る人もいる。」という一文があるのを見て仰天したことがあります。夢に色がついているのは当たり前(というよりは未だに色なしの夢自体が全く想像できません)と思っていた私は自分が異常体質なのかと真剣に悩んだものです。それがトラウマになっているのか、いまでも、夢の中で「ざまあみろ、こんなにきれいに色がついているじゃねえか。夢に色がないと言っているのはどこのどいつだ。」と誰に向かってかはわかりませんが、大威張りをしている夢を時々見て、我ながら大人げないと自己反省しています。
ところで、最近あまり夢を楽しむことが出来なくなりました。きっかけはあるTV番組を観てから。「夢と言うのは睡眠中に浮かんだ断片的なイメージをあとで、勝手にストーリーづけているだけ。」というような趣旨の解説だったような…。
それ以来、夢と言うのはストーリーをもった動画を観ているのではなく、頭に浮かんだ脈絡のない静止画像を都合のよいように、目覚める直前もしくは目覚めた直後に勝手に後付けでストーリーを付けていただけではないのかと考えるようになってしまいました。確かに、今更ながら夢の中のシーンと言うのは、頭の中で思い出してみても、静止画像のシーンしか思い浮かばない。動画的なシーンは思い浮かびません。
脈絡のない不条理なストーリー展開こそが夢の真骨頂と思っていたのに、つまらない種明かしをされたようでがっかりしています。最近は、朝目覚めてからの夢の反芻も熱が入らず、思い出したそばから忘れるような状況です。
つまらんことを聞いてしまったなあ。これからも白けた気分で夢を見るようになってしまうんだろうなあと味気ない朝を迎えている今日この頃です。
とはいうものの、よくよく考えると「毎日、夢を見て、しかもそれをかなり鮮明に覚えている。」というのは、自分が感受性に優れ、極めて豊かな想像力をもった感性に満ち溢れた人間なのだと、今更ながら改めて気づいたのがせめてもの幸せか?そういえば、昔から、星占い、運勢、適職・適性検査などをすると必ず「芸術家向き」と言うキーワードが出てきたもんなあ。我ながら、毎晩、独創的なストーリーを夢の中で展開しているというのは並みの才能ではないということが分かってまいりました。
大体、夢を全く見ない人間というのは、熟睡しているのではなく、単に想像力が欠如した鈍感人間であるということが確認できたのも、まあプラスの効果ですかねえ。
by MM59